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神戸の海沿いに住む自転車好き親父のブログです。Team ZitaBataに所属。自転車或いは、自転車に乗るためのKS(家族サービス)活動などの話題を取り上げたいと思います。コメントは大歓迎です。

あれから16年経ちました                   阪神淡路大震災

寒い日が続きますね。あの日もとっても寒かったです。あれから16年経ちました。
(チャリネタではないので、ご興味の無い方は読み飛ばしてください)
 
我が家は当時、須磨駅の北方数百メートルのところに住んでおりました。幸い山の裾のようなところなので、震度6のエリアで、震度7の激震地からは外れておりました。しかし、子供は生後3ヶ月など、揺れの後のサバイバルの方が遥かに大変でした。

① 地震の揺れを言葉で表現するとどうなりますか?

「グラグラ」とか、「ユラユラ」ではないでしょうか。私も震災まではそう思っていました。でも、1995年1月17日の揺れは違いました。
「ガンガンガンガンガンッ」 まるで家という箱ごとシャッフルされているような感覚でした。
そんなことをしたら家が潰れてしまう! そんな感じでした。
当然、立てません!

② 地震後、いつものように行動できるでしょうか?

壊れた家屋、崩れたよう壁、小刻みにやってくる余震などで心理的に行動範囲に抑制がかかります。
(家族を待たせている)外出中に大きな余震が来たり、近所で火災が発生しては、などと考え、普段のようには行動できませんでした。

③ 地震が数秒後に来るとわかったらどうしますか?

地震の初期微動を検地して、本震が来る前に知らせる仕組みが、テレビに表示されたり、会社では放送される仕組みが導入されています。
ありがたい仕組みですが、この数秒の猶予をうまく活かせるでしょうか。
家庭なら、火を消す などの対処をされるでしょうが、では自身の安全を確保するための準備はできているでしょうか。
家庭なら、冷蔵庫や、食器棚、タンスは確実に倒れます。電子レンジ、テレビ、パソコンは落ちます。飛びます。
台所は一番の危険ゾーンです。調理中であれば、まず火を消し、台所からは飛び出すべきです。

では、どこが安全でしょうか。我が家の場合は、廊下が一番安全と思われます。家族には、緊急地震速報があった場合は、廊下に待避するよう言っています。

尚、一戸建ての場合、壁に囲まれているトイレは安全と言われていましたが、全壊になった親戚の家は、トイレの天井が落ちていました。所用中でしたら、便器といっしょに生き埋めで、古い家屋では必ずしも安全では無いようです。

次にオフィスの場合ですが、鉄製の大型の書庫は倒れます。建物の壁のボードにボルトでつないでいましたが、ボードごと引きちぎって、机の上に倒れておりました。ですから、オフィスの場合は、書庫などに席が近い場合は、離れたところに待避すべきです。
あと、高層ビルの場合、机やコピー機の位置は大きく動きます。
(となると、やっぱり物の無い廊下が一番安全か)

④ 目の悪い方、就寝時、メガネはどこに置いていますか?

どこかへ置いておく、という場合、吹っ飛んだり、落ちてきたものの下敷きになり、メガネの探索に非常にてこずります。
夜間であれば、照明は点かないでしょうから、尚更です。
私は震災以降、メガネは、ペットボトルの保温ケースを整理ダンスにぶら下げ、ここに入れています。(少なくとも落ちたり、飛んでいったりはしないでしょう)
R0014252.jpg

⑤ 非常時に連絡はつきますか?

当時の電話はIP電話ではなく、電話線自体に電気が通っていたので、停電でも電話はかかりました。
但し、被災地から外へはかかりましたが、エリア外から被災地へは殆どかからなかったようです。
ただ、今の電話はIP電話なので、停電になれば、まずかからないでしょうね。携帯電話は当時はなかったので、使い物になるかは不明です。
家族間の連絡が直接つけられなくなった場合に備え、実家、或いは知人宅など、非常時にはメッセージを預かってもらう場所を決めておいた方がよいかもしれません。但し、近所だといっしょに被災している可能性大なので、その辺の考慮が必要です。

私は親戚に電話するのが早すぎたのか、電話を受けた方は、「何の事?」って感じでした。

⑥ 乳児がいますか?

非常時、大人は冷蔵庫の残りや、カップ麺などでしのげますが、乳児は母乳かミルクしか受け付けません。
我が家で一番ピンチだったのは、この点で、子供は生後3ヶ月でした。
このような状況になると、母乳は出にくくなる可能性があります。
そこで粉ミルクの登場となるのですが、粉ミルクはお湯には溶けますが、水には溶けません! お湯が必要なのです。
まずは水の確保。我が家は、電気ポットに残っている1Lのみでした。火の方はキャンプ用のコンロのガスが若干残っていたので、これでなんとかお湯を確保し、凌ぎました。とはいえ、余震がたびたびやってくる環境で火を使うのは、非常に緊張したのを覚えています。なんせ水道は出ないので、一度火を出してしまったら、絶対に消せないですから。
でも、哺乳瓶の消毒に使う熱湯までは確保できず、衛生状態までは保てませんでした。

ペットボトルの水の常備と、あと、乳児がいる場合は、カセットコンロでも、キャンプ用コンロでも良いので、常備しておくことをお勧めします。

⑦ 備品はありますか?

・水(ペットボトルのもの)
・電池式のラジオ
・懐中電灯
・水を貯められるもの(水を汲みに行った際に入れておく)
・缶詰などの非常食
などは、最低あったほうが良いと思います。
特に、AMラジオ、特にローカル情報を流し続けたラジオ関西は大いに役に立ちました。

⑧ 車は使えると思いますか?

さすがに初日は、急病人、怪我人がいない場合は、消防、救急、また復旧支援の車に道を譲るべきでしょう。
私は使いませんでした。
それと、実際には車が出せませんでした。と言いますのは、駐車場から大通りへ出る道路のブロック塀が両側から倒れ、ブロック塀からは、中の鉄筋がニョキニョキと生え、とても車高の低いセダンでは通れませんでした。
パンクしても、JAFも来てくれなかったでしょうし。
ただ、翌日見に行くと、大型車ででも踏んだのか、鉄筋が曲げられている箇所があり、最徐行でコースを選べば通れる状況でした。
あと、ガソリンスタンドは全部閉まるので、ガソリンは常に余裕を持って入れておいた方が良いと思います。

⑨ 最後に

須磨に関して言いますと、水は、須磨寺の前に冷泉がり、ここに並ぶと手に入りました。
私は震災2日目にここに並んで水を入手しましたが、前の子供が列を数えたところ、165人いました。水吐口は2つなので実質80人ほどの待ち行列で、3時間強待ちました。でも、給水車のように終わりが無いので、「水が手に入らない」という事態からは逃れられました。
この頃、東灘区の方では、水道管が切れてアスファルト上に噴き出してきた水をすくって凌いでいた との記事も読みました。
あと、並んでいるときに、自衛隊のトラックがやってきて、走って行きましたが、凄く心強く思いました。このときは何かをしてもらった訳ではないけど、この地域に被災者がおり、水に困っているとう事が、これで行政に認識されるだろうとの安心感です。

私は結局配給とかもらわなかったけど、行政が被災地域を把握し、支援物資を行き渡らせるのに、最低3日ぐらいはかかるような気がしました。
ですから、被災後3日間、自力で生き延びられる準備が必要かなと思います。

あと、神戸新聞は結構早く届いたような・・・


写真があれば、説得力があるんどえすが、当時はどうしてもカメラを向けられませんでした。
・全壊の実家
・食器棚、冷蔵庫、その他あるもの全部がひっくり返り、食器の割れた台所
・ガレキに埋もれた親戚宅のトイレ
・止まってしまった鉄道
・石垣が崩れと通れなくなった道路
・灯の消えた信号機とカオス状態の交差点
・ブロック塀が倒れた道路・一階が圧壊したマンション
・2階が1階に落ちた家屋
・基礎から飛び出し、道路上に異動して壊れた家屋
・板宿方面の火災現場から飛んできたらしき燃えカス(空から降ってきた)
などなどいろいろありました。
でも、家族に怪我ひとつなかったのは、非常にラッキーだったと思います。
それと、発生時間。これも絶妙でした。新幹線の始発の僅か14分前。走っていれば何本かは高架から落ち、大惨事になっていたと思います。在来線も。ラッシュ時だったらと思うと、ぞっとします。
また、オフィスビルも、窓ガラス1枚割れることなく、何事もなかったように建物は建っていましたが、中は物が倒れ、動き回り、カオスでした。他社の友人であの時に間出勤中だった者がおり、三宮の事務所に入ったそうですが、ミサイルが打ち込まれたような状態だったそうです。
勤務時間であれば、下敷きになって死亡したり、そこまでいかなくても、大怪我の人は続出だったと思います。
火を使っている人も少ない時間帯でした。
地震の発生自体は避けられない自然現象である以上、あの時間に発生してくれたのはせめてもの救いだったと私は思っています。
多くの方も、3連休後の早朝という事で、家族といっしょにおられたでしょうしね。

P.S.
ご本人が無事な場合でも安易に「良かったね」というのは禁物です。もしかしたら、親戚や知り合い、その他大事な人をなくしている可能性もあるためです。

1995年のルミナリエはその後の東京単身赴任で見れませんでした(というか、東京では報じないので、存在すら知らなかった)が、1996年初めて訪れた際は、震災の日の停電して真っ暗な夜(灯火の無い夜はほんと暗いです)との対比から、とても明るく暖かく感じたのを覚えています。
しかし、観光的行事との印象が強くなったきたここ数年は、訪問していないです。

阪神淡路大震災についてブログに書くのは、これを最初で最後にします。 

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コメント
No title
震災の日。大変でしたね。
あの日のことは忘れずに。地震から逃れられない日本。
参考になると思います。
地震の時はどうしたらいい、わかっていても揺れが大きすぎて動けませんでした。
でも出来るだけの備えはしておきたいですね。
2011/01/18(火) 00:46 | URL | ちはる #2eRL8F0w[ 編集]
No title
コメントありがとうごじます。

地震そのものは止められないので、備えておくしかないですね。
ペットボトルの水を1箱備蓄しておくだけでも、有事の際は心理的に
違うと思います。
井戸があれば良いのですがね。

あと、実家のテレビは部屋の反対側まで移動してました。
物は、倒れる、落ちる、割れる のを前提に考えないといけないですね。
2011/01/18(火) 22:19 | URL | 自転車好き親父 #-[ 編集]
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